聖書要約〜番外編:アッシリア捕囚〜

ここまでで、南北分立時代が一応終わったので、

北イスラエルを滅ぼしたアッシリア捕囚と、南ユダを滅ぼしたバビロン捕囚について

書いてみようと思います。

 

まずは、アッシリア捕囚から。

 

 

◉アッシリア捕囚について

アッシリア捕囚とは、アッシリアという国が北イスラエルを滅ぼした出来事です。(B.C.720)

 

当時のアッシリアといえば、でかい!!強い!!

こんな感じ↓↓↓(緑とオレンジの部分)

引用: Wikipedia

イスラエルにとっては、当時、だいぶ脅威でした!!😱😱😱

 

それでは、アッシリア捕囚

具体的に何が起こったのか!?

下に書いた4人のアッシリアの王様北イスラエルに攻めてきます。

 

Let’s チェケラ!!

 

テグラテピレセルが攻めてきたよ!(上地図の紫矢印)

テグラテピレセル(B.C.744~727)。

何気に列王記15, 16章にも出てきます。

 

B.C. 738 北イスラエル王国を襲い、人々をアッシリアへと捕囚して行きます。

この時の北イスラエルの王様はペカ

しかし、、、これはアッシリア捕囚序章に過ぎなかった!!( ゚д゚)!!

 

シャルマネセルが攻めてきたよ!!(上地図の赤矢印)

シャルマネセル(B.C.727~722)。

これまた誰?って感じの人ですがテグラテピレセルの子どもです。

この人も何気に聖書に書かれています(列下17, 18章)。

 

いわゆる「アッシリア捕囚」を引き起こし、

人々をアッシリアへと捕らえていった人です。(列下17章)

また、北イスラエルの都市サマリヤも取っていったようです。(列下18:9)

この時の北イスラエルの王様はホセアでした。

 

サルゴン(B.C.722~705)が攻めてきたよ!!!(上地図の黄色矢印)

サルゴン(B.C.722~705)。この人もまたテグラテピレセルの子どもです。

この人が、最後、北イスラエルを滅ぼします(B.C. 720)。

 

これにて、北イスラエルは滅びましたとさ。。

以上、アッシリア捕囚でした。

 

セナケリブ(B.C.705~681)南ユダを攻めてきたよ!!!!

アッシリアは、北イスラエルにとどまらず、南ユダをも攻めてきました!!😱😱

この時の南ユダの王様はヒゼキヤ

聖書によると、南ユダの町を取っていったようです。(列下18:13〜)

(※詳細はこちらをチェケラ!!)

 

次回は、バビロン捕囚

 

 

〜おまけ:失われた10部族〜

アッシリア捕囚で連れて行かれた人々は、一体どこへ行ったのでしょうか。これは、聖書には書かれていないのですが、アッシリア捕囚後、世界各国へ散って行き、様々な偶像的宗教に影響を与えたのではないかと言われています。そして、日本もその一つではないかと言われているのです。

そう考えられる根拠の一つとして、ユダヤ教のお祭りに使う道具が神道の道具と似ていることや、ヘブライ語と日本語が似ていることが挙げられます。(モーセの十戒を入れた神の箱が御神輿と似ている、「ジャンケンポン」、「ハッケヨイ」などはヘブライ語由来!?など)

しかし、深堀しすぎるとちょっと都市伝説的な要素もあるので、信憑性はなんとも言い難いところですが、それでも多少なりとも影響は受けており、全く無関係と言うわけではないだろうなぁと個人的には思っています。

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして。私はキリスト教福音宣教会のChihiといいます。 大学院の終わり頃にキリスト教福音宣教会で聖書を学ぶようになりました。 私は、大学で言語学(英語)を専攻しており、聖書が欧米文化に大きな影響を与えていることから、聖書を勉強したいと思っていました。最初は普通の教会で学んでみましたが、よくわからず断念。。 キリスト教福音宣教会のバイブル・スタディは、聖書を基本中の基本から教えてくれて、わかりやすく、臨場感があり、とても感動!!そして、面白い!!&生活に役立つ!! 聖書は、当時の時代背景や文化背景、地名や人名が難しいですが、「千里の道も一歩から(?)」ということで、わかりやすく楽しく、1日2、3行〜1章程度ゆっくり書いていきます。