さて、次はガラテヤ人への手紙です。
ガラテヤってどこ?
ガラテヤの位置は上地図の通りです。
ガラテヤもパウロが御言葉を伝えて、教会を建てたところです(4:13、4:19)。
何が書いてある?
ローマ人への手紙、コリントへの手紙に引き続き、ガラテヤの人たちにも問題が〜!?
(パウロの手紙の大半は、なんらかの問題が生じたために、それに対してパウロが回答する/教える内容になっているのです。)
どうやら、ガラテヤの人たちが違った御言葉を信じるようになってしまったようです(1:6)。
[voice icon=”https://thefunniestbiblelab.com/wp-content/uploads/2020/08/paul.jpg” name=“パウロ” type=”l”]なんで!?なんで!?なんでそんなに御言葉から離れていくのよ!?[/voice]
そして、パウロは、今までは律法を行うことが大事だったが、イエス・キリストが現れたこれからはキリストを信じることが大事なのだと説きます。
律法とは、ざっくり言えば旧約聖書です。その中でもモーセ五書は律法の中でも重要視されていました(※モーセ五書=創世記から申命記まで)。
ユダヤ人は、イエス・キリストが来るまで律法を信じて頑張って行ってきました。
しかし、イエス・キリストが現れたからは、「律法を行うこと」ではなく「キリストを信じること」が大切になり、その変化に「ついていく人」と「そうでない人」と分かれてしまったのです。
パウロは、そんな状況に対してこんなことを言っています。
人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、私たちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。(2:16)
このようにして律法は、信仰によって義とされるために、私たちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。しかし、いったん信仰が現れた以上、私たちは、もはや養育掛のもとにはいない。あなたがたがみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。(3:24-26)
「旧約時代」から「新約時代」に変わり、神様と人間の関係も「しもべ」から「子ども」、信仰も「律法」から「キリストを信じること」に変化したわけですね。