みなさん、こんにちは。キリスト教福音宣教会のChihiroです。
今回はコリント人への第二の手紙です。
手紙の背景
先ほどの第一の手紙の時は、パウロはエペソ(エフェソス)にいましたが、その後、ピリピへ移動。。
このピリピでパウロの協力者テモテと再会します(コリント②7:5-7)。
そして、テモテからコリントの様子を聞くと、またまた問題があるとのことでした。
その問題を解決するべく、書いたのがこのコリント第二の手紙です。
パウロが聞かされた問題とその回答
問題①:パウロ、行く行く詐欺!?
パウロは、コリントに「行くよ、行くよ」と言いながら行かないから、
(本来の計画ではそうだった:コリント①1:15)
[voice icon=”https://thefunniestbiblelab.com/wp-content/uploads/2019/09/face_angry_man4.png” name=“人々” type=”l”]来ないじゃないかよ!?本当に来るの?[/voice]
という疑惑が生じていたのです。
名付けて、「パウロ、行く行く詐欺!?(オレオレ詐欺じゃないよ)」
それに対してパウロはこう言っています。
[voice icon=”https://thefunniestbiblelab.com/wp-content/uploads/2020/08/paul.jpg” name=“パウロ” type=”l”]わたしがまだコリントに行かないでいるのは、あなたがたに対して寛大でありたいためである。わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者に過ぎない。あなた方は、信仰に堅く立っているからである。(1:23-24)[/voice]
つまりは、コリントの人たちの信仰に対して厳しく叱り付けて、
悲しい思いをさせたくないんだ〜!ということです。
わたしは大変な中で泣きながらこの手紙を書いているんだ!
わたしの愛をわかっておくれ〜〜!!とも言っています。(コリント①2:4)
問題②:パウロ、お金着服疑惑!?
いつの時代も「宗教」と「お金」に関する誤解はつきまとっていたんですね。
パウロも人々に「パウロってやつはお金を人々から騙し取っている〜!!」と言われていたようです。
[aside type=”boader”]わたしは、あなたがたに重荷をおわせなかったとしても、悪がしこくて、あなたがたからだまし取ったのだと、人は言う。(12:16)[/aside]
それに対して、パウロはこう答えています。
[voice icon=”https://thefunniestbiblelab.com/wp-content/uploads/2020/08/paul.jpg” name=“パウロ” type=”l”]迫害を受けてめっちゃボンビー(貧乏)だったマケドニアの教会があったんだけど、
信徒たちが奉仕にしたいと熱心に願い出て、富んだんだよ!(8:2-5)[/voice]
要は、だまし取ったわけじゃないよ、みんなで神様を信じて感謝して行(おこな)ったんだよ!(9:6-7, 11-12)ということです。
「献金1つでその人の信仰が表れる」というのは聞いたことがありますが、
旧約時代から、喜びで捧げることを神様は喜ばれますね(つまりは、額じゃないってことさ!)。
[aside type=”boader”]すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。(出エジプト35:5)
すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は、会見の幕屋の作業と、そのもろモロの奉仕と、聖なる服のために、主にささげる物を携えてきた。(35:21)[/aside]
問題③:パウロの説教、つまんねーよ事件!?
[aside type=”boader”]彼の手紙は重味があって力強いが、会ってみると外見は弱々しく、話はつまらない。(10:10)[/aside]
これは、御言葉伝える人としてはだいぶアウチ(痛い)なクレームですね。
これに対するパウロの答えは・・
[voice icon=”https://thefunniestbiblelab.com/wp-content/uploads/2020/08/paul.jpg” name=“パウロ” type=”l”]いや、弱いよ。(12:5)[/voice]
え??開き直りか〜い!?とツッコミたいところですが。
[voice icon=”https://thefunniestbiblelab.com/wp-content/uploads/2020/08/paul.jpg” name=“パウロ” type=”l”]ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全に表れる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(12:9-10)[/voice]
いや、弱いよ。弱いからこそ、キリストにすがり、祈り、謹んで生きて・・。そうすることで、キリストが共にしてくださるんだよ。だから、弱いことこそ、むしろわたしの自慢なのさ、ということです。
私(パウロ)の短所だけを見ないで、むしろ足りない私を用いてくださる御子を見なさい、ということです。
こうして、パウロは命をかけながらガツガツとイエス・キリストについて伝え続けるのでした。
ちゃんちゃん!
キリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission)