さて、雅歌まで来ました。
「箴言」、「伝道の書」、「雅歌」と来ましたが、
すべてソロモンが書いたものです。
◉雅歌とは?
雅歌は、元々ソロモンが愛の対象(恋人)を探すことから始まったものだそうです。
しかし、1000人の宮女がいても一人も気に入る人がいませんでした😅
(伝道の書2:8-11を参照。 ※ソロモンの詳細はこちら!)
ソロモンは、理想の女性をこんなふうに書いています。
あなたの足は、くつの中にあって、なんと麗しいことであろうか。
あなたのももは、まろやかで、玉のごとく、名人の手のわざのようだ。
あなたのほぞ(へそ)は、混ぜたぶどう酒を欠くことのない丸い杯のごとく、
あなたの腹は、ゆりの花で囲まれた山盛りの麦のようだ。
あなたの両乳ぶさは、かもしかの二子である二匹の子じかのようだ。
あなたの首は象牙のやぐらのごとく、(以下略)(7:1-4)
このしののめ(朝日)のように見え、月のように美しく、太陽のように輝き、
恐るべき事、旗を立てた軍勢のような者は誰か。(6:10)
表現が麗しすぎてよくわからないところもありますが、
とにかく外見も内面もめっちゃ素晴らしく美しい人という意味です。
そんな人、どこにおんねーん!?!?
ということで、やはり、なかなかいませんでした😅
◉雅歌の登場人物
雅歌には3人(?)の登場人物がいます。
①花婿、②花嫁、③花嫁たちです。
そして、①花婿と②花嫁、時々③花嫁たちの掛け合いになっています。
これは、日本語の聖書には書かれていないのですが、
英語の聖書(NIV: New International Version)を開くと、
どの聖句がHe(花婿)、She(花嫁)、Friends(花嫁たち)なのか
書いてあるので、それを参考にするとよりわかりやすいと思います。
しかし、それらの区別はdebatableな部分もあるので、
(debatable: 議論の余地がある。※要ははっきりこうだ!と言い切れないという事。)
聖句によっては、それが花婿なのか花嫁なのかグレーな部分もあります。
(あくまで聖句によってはね。明らかに花婿or花嫁の聖句もあります。)
どこが花嫁or花婿か知りたい人は、英語の聖書を見てみてね。
(※英語の聖書NIVは、一番下にリンクを貼っておきます。)
◉有名な聖句(第5章)
最後に「雅歌と言えば、このストーリー!!」
という有名なストーリーをご紹介したいと思います。
花婿を迎えられなかった花嫁のお話です。(ちょっと悲しい。。😢)
ある女性(花嫁)が花婿を待っていました。
美しい姿で迎えられるように、乙女心で準備していました。
しかし、恋人(花婿)は、なかなか現れず、
少し疲れてしまった女性は、寝てしまいました。
そんな中、夜中になって恋人が現れました。
恋人は、戸を叩いて「開けてくれ」と言いましたが、
女性は、なかなか出てくれません。
女性は、目が覚めていなくて、もたもたと怠けていて、
恋人を迎えることができませんでした。
あとで、戸を開けると・・・・。
恋人の姿は、ありませんでした。
女は、その時になって初めて、さっき尋ねてきた人が自分があれだけ待った恋人だとわかりました。
女は、悲しんで、町に出て行って愛する恋人を探しまわりましたが、見つかりませんでした。
そうしていると、町を歩いていた夜回りが女を見つけ、犯してしまいました。
これは、何を言いたいかというと、
恋人は神様、花嫁は人間なんですよね。
「愛する人を待っていたけれど迎えられなかった」というのは、
神様が(メシアを通して)地上に来られるのを待っていたけれど、
迎えられなかったということを表しています。
性格や行動がぼうっとしていて、グズグズする人は、
神様の時(メシアが来るタイミング)を逃してしまうということです。😱😱😱
だから、ソロモンが言った理想の花嫁。
このしののめ(朝日)のように見え、(心、精神、行動がはっきりしていて)
月のように美しく、(美しく)
太陽のように輝き、(輝き)
恐るべき事、旗を立てた軍勢のような者(大胆な人)(6:10)
そのような人格を備えておきましょう、というお話です。
聖書は、もちろん宗教の本なので、「メシアを迎える」という話が書かれていますが、
それはメシアを迎えるだけでなく、「様々なチャンスを掴む」という意味でも
上のような性格を備えることが重要なのは、同じなのかな、と思いました。
そんなこんなで、雅歌でした〜。
参考:
1991年1月13日主日礼拝「帰ってくるべき運命」
2006年1月29日主日礼拝「創造目的、堕落論」
2012年2月1日水曜礼拝「機会は主だ。このような人が機会を逃さない。」
英語聖書 NIV ※見る際は要ダウンロードとなります。