聖書について/日常生活

聖書要約〜ローマ人への手紙〜

みなさん、こんにちは。キリスト教福音宣教会のChihiroです。

新約聖書、手紙シリーズの最初の手紙、ローマ人への手紙です。

 

誰が書いた

この手紙はパウロが書きました。ゴリゴリのユダヤ教徒で日々キリストの迫害に息を弾ませていましたが、途中でキリストの霊に会い、改宗したのは有名な話ですね。

 

いつ書いた

この手紙は、パウロ三回目の伝道旅行(使18:23〜21:14)で、コリント地方からローマに送った手紙と言われています。

当時のローマと言えば!!世界の中心!!

だから、パウロは、ローマで福音を伝えることを目指していました。そして、ローマを拠点にさらに西へと宣教を進めてスペイン(聖書にはイスパニアと書かれていますね)で御言葉を伝えることを計画していました(15:28)。

また、パウロが書いた他の手紙は、自分が立てた教会に向けて書かれた手紙ですが、このローマ人への手紙はパウロがまだ教会を立ててないにも関わらず書いた手紙である、という特徴があります。

 

何が書かれている?

当時、ローマには「ユダヤ人でクリスチャンになった人」と「異邦人でクリスチャンになった人」の両方がいました。

「ユダヤ人でクリスチャンになった人」からすれば、イエス様を信じるにしても割礼してから信じるべきなのではないか?と思ったし、

「異邦人でクリスチャンになった人」からすれば、イエス様を信じさえすれば救われると習ったぞ!と主張し。。

このような両者の葛藤を解決するために書かれたのがローマ人への手紙です。

 

例えば、

・神様は、その人が何人であっても働きかけてくださる。

悪を行う全ての人には、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、患難と苦悩とが与えられ、善を行う全ての人には、ユダヤ人をはじめとするギリシャ人にも、光栄と誉と平安とが与えられる。なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。(2:9-10)

 

神様は国籍差別をしません。人種差別、学歴差別、その他もろもろ差別はしない方です。

ユダヤ人でもユダヤ人でなくても愛して下さります。

言い換えれば、「公義の神様」。何人(なにじん)であれ、行った通り報いてくださる、ということです。

 

・割礼をしたかどうかよりも、これからはメシアを信じることが大切。

では、私たちはなんと言おうか。義を追い求めなかった異邦人は、義、すなわち、信仰による義を得た。しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達なかった。なぜであるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。彼らはつまづきの石につまずいたのである。(9:30-32)

 

ユダヤ人たちは、律法を守りながら神様が来ることを待っていました。

しかし、律法を守っていく中で律法を行うことが中心となりすぎてしまい、神様を愛することや兄弟を愛することがおろそかになってしまいました。

そして、結局はキリストを迎えられなくなってしまいました。

それでも(ユダヤ人でありながら)キリストを信じて新時代についてきた人もいるのですが、今まで信じて行ってきた律法は続けて行うべきかどうか疑問になったわけです。

神様は聖書(パウロの手紙)を通して、人間はキリストを信じることで救いを得られると言っています。

それは、罪が死によって支配するに至ったように、めぐみもまた義によって支配し、私たちの主イエス・キリストにより、永遠の命を得させるためである。(5:21)

 

他にも論点を挙げれば様々ありますが、一部をあげてみました。

また追って詳しく書いてみたいと思います。

 


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