みなさん、こんにちは。キリスト教福音宣教会のChihiroです。
(しばらくお休みが続きました。。
ちょっと使徒行伝は苦手なので、後回しにして手紙に行きます。)
ローマ人への手紙です。
この手紙は、パウロが三回目の伝道旅行(使18:23〜21:14)で、
コリント地方(今でいうギリシャ)から送ったローマに送った手紙のようです。

当時のローマと言えば!!世界の中心!!
だから、パウロは、ローマで福音を伝えることを目指していました。
ローマで伝えられれば、あとは世界に広がって行きますからね。
ちなみに、パウロもローマ市民でしたね(使21:39)。
当時は、それなりのお金を払えばローマ市民にもなれたようですが、
パウロは生まれた時からローマ市民だったようです(使22:28)。
つまりは、パウロはエリートだったのです。
ローマ人への手紙は、エリートからエリート信者に書かれた手紙です。
だから、難しいんですよ〜(汗)。
手紙は、特にストーリー(物語)があるわけではないので、
有名な聖句を紹介する感じにしようと思います。
彼らは律法の要求がその心に記されていることを現わし、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互いにあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである(2:15)
この聖句だけだと、なんのこっちゃ?という感じですが。
これは手紙上で議論をしていてですね、「律法を行う者が、義とされる」と書かれているんですが、
「じゃあ、律法を知らない人は、行えないじゃん?
律法を知らない人は、自動的に不義じゃん!でも、それってフェアじゃなくね??」
というツッコミに対する答えですね。
確かに律法(御言葉)を知らなければ、行えないのですが。。
でも、そういう場合、神様はその人の良心を通して働きかけているのです、ということです。
確かに、人には皆「良心」がありますよね。
神様は、その良心を通して
「こうするべきだ!」、「いや、そうするべきではない!」と働きかけているのです。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っているからである(5:3)
これは、個人的に好きな聖句の一つですね。
人生、NO患難で日々楽しく生きられたら良いですが、実際そうもいきません。
でも、パウロは、患難さえも喜んでいたようです。
なぜかと言えば、「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し・・・」というわけですね。
パウロがこれを書いた時は、福音を伝えることで命を狙われ、
いつ殺されてもおかしくない状況でした。
そんな時でも、喜んで感謝して生きていたわけですね。
私も、「むむーっ!!今は患難だぜー!!」という時はこの聖句を見ます(笑)。
もちろんパウロほどの患難ではないですが。パウロにしたらだいぶ可愛い患難です(笑)。
すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る(7:22~23)
これも初めて文章を見ると難しいのですが、内容がわかれば「信仰あるある」でもあります(笑)。
「内なる人」とは、霊のことですね。
霊としては、神の律法を喜んでいるわけですよ。
「朝早く起きて祈りなさい」とか「神様を愛しなさい」とか
「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」とか。
どれも良いことじゃないですか!!
わかってるけど・・。わかってるけど・・。
「朝早く起きるのしんどいねん」
「隣人、愛するのむずいねん。だってこの人、こんな性格ですよ!!」とか。
これが肉体の思いですよね。
もちろん律法を楽しく守ることができる時もありますが、難しい時も必ずあります。
頭(心・霊)ではわかってるけど、むずいねん!!というこの葛藤!!(笑)。
パウロは、こう表しています。
「わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ」
パウロも私たちと同じく、時には心で葛藤している時があったのですね。
有名どころの聖句はこんな感じでしょうか〜。
以上、ローマ人への手紙でした。
キリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission)