岩の上に建てた家、根が深い木

みなさん、こんにちは。キリスト教福音宣教会のChihiroです。

マタイによる福音書に以下のような聖句があります。

それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである。(7:24-29)

 

これを読んで思ったのは、岩の上に建てたら家ってグラグラしそうじゃないっすか?

いや、そう思ったの、私だけではないと思うんですよ(笑)。

 

それで、ルカによる福音書を読んでみると、上のマタイと同じシーンがあるんですよ。

それで、こんな風に書いてます。

それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。(ルカ6:4)

 

なるほど。どうやら岩は地面の上にドーンとあったのではなく、地を深く掘ったところに置いていたようです。

今で言うと、家を建てる前に地面を掘ってコンクリートの土台を作るのと同じイメージなのでしょうかね。

そう考えると、岩の上に家を建てるのはグラグラしない方法のように感じますね。

 

ちなみに、ここで言う岩とは、堅い信仰=キリストのことを表しています。(重要)

私たちもキリストの上に自分の信仰を立てていきましょう!

 

ところで、総裁の故郷に行った時に聞いた話を思い出したので、一つ紹介しようと思います。

大きな木と小さな木があったのですが、嵐のような強い雨が来た時に大きな木が倒れてしまったようです。

ここから信仰の話をしてくださいました。

 

人々は大きな木を見上げます。

“人”
大きな木だなぁ。
“人”
立派な木だなぁ。

しかし、大きな木は倒れてしまいました。根がしっかりとしていなかったからです。

 

人々は、外から見えるもので判断しがちです。

“人”
あの人は、大きな人だ。あんなに大きな仕事をこなしている。
“人”
あの人は、立派な人だ。あれもこれもよくできる。

しかし、根がしっかりしていなければ、信仰が倒れてしまうのです。

根とは、御言葉だ。

 

そして、根は普段は見えません。嵐が来たときにそれがしっかりとしているかどうかがわかります。

このように信仰も普段はわかりません。患難があったときに、今までの信仰が試されるのです。

 

人から見て「大きい人」であるかどうかは、重要ではないのです。

私たちも根がしっかりした人間にならなければなりません。

 

家の土台も同じように、普段は見えないのですが(地面を深く掘ったところにあるので)、嵐や洪水が来たときにその力を発揮します。

家の土台信仰も同じだなということを思いました。

 

岩の上に家を建てた人、根が深い人になれるようにこれからも頑張ろうと思いました。

 

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして。私はキリスト教福音宣教会のChihiといいます。 大学院の終わり頃にキリスト教福音宣教会で聖書を学ぶようになりました。 私は、大学で言語学(英語)を専攻しており、聖書が欧米文化に大きな影響を与えていることから、聖書を勉強したいと思っていました。最初は普通の教会で学んでみましたが、よくわからず断念。。 キリスト教福音宣教会のバイブル・スタディは、聖書を基本中の基本から教えてくれて、わかりやすく、臨場感があり、とても感動!!そして、面白い!!&生活に役立つ!! 聖書は、当時の時代背景や文化背景、地名や人名が難しいですが、「千里の道も一歩から(?)」ということで、わかりやすく楽しく、1日2、3行〜1章程度ゆっくり書いていきます。